無題、 或いは「約束」

無題、 或いは「約束」

春イメージ たんぽぽ
子供の頃から春が嫌いだった。

“父が転勤族”というわけでもなかったのだけれど、普通の少年よりは多く引越しを経験したと思う。

トラウマも含め多くの出来事と遭遇する貴重な少年時代を、当時はまだ街なかでもすぐ傍に自然の多かった青森という場所で過ごせたことは幸運だったし、今現在の環境適応しやすい我ながら意外な性質も、少年時代に幾度か引越しを経験したおかげかと思う。

一方で、多くの友達との別れも経験しなければならなかった。寒くて永い青森の冬にじっと耐え、やっと訪れた春は僕にとって「別れの季節」だった。

中学高校時代は松戸に落ち着いたけれど進級進学の節目では、新しい友との出会いの喜びより旧い友との別れの悲しみのほうが大きかったように思う。

中学時代に初めて付き合った女の子と別々の高校になり、お別れしたのも春だったっけ。四半世紀以上経った今でもあの頃のことを思い出すと…なあんてことはないけれど、別れのきわに感じるひとり置き去りにされるような恐怖にも似た寂しさは、あの頃とあまり変わらない。

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今年も春が来た。
体の中のなにかが何処かへ持っていかれるような、捻れるような、どこかが痛いような。でも誰にも言えなくて、ぐっと堪えながらなんでこんな気持なのか自分でもよくわからなくて。ああ、やっぱりあの頃と変わってないや。

変わったことといえば「もっとこうしてあげればよかった」とか「こんなことが出来たんじゃないか」とか後悔が増えたような。利休センセイ、やっぱり一期一会なんて僕にはそんなカンタンじゃあないです。

もうひとつ違うのは、人との別れを次の出会いや再会の時のための“光”に変えられるようになった…かな。これから生きるはずの「その日」までの未来が、今なら“光”に透ける琥珀色の過去のようにさえ見える。また会う日をもっと輝かせるためにこう生きようって思える。なあんて、あまりセンチメンタルになっちゃあいけない。

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じきに学生たちが衣替えを始め、梅雨がやって来て、そうしたらもう、すぐ夏。そんな風に季節が次から次へと押し寄せてきて、あっという間に時は巡って…。「その時」のためにね、自分との約束のために、また歩き出しますか…ね。

以上、いつになくおセンチな演出でした。

(註:文中画像は使用ライセンスを取得して利用しています)