演出です。
ずっと欲しかった「吉原今昔図」買いました。
以前、吉原神社で見かけたときに¥2,500という価格に恐れをなして買わなかったことをずっと後悔していたんですが、その後吉原神社訪問の機会も無くて。先日仕事で近くに行くことがあったので、ちょっと立ち寄ってようやく手に入れました。
なんで吉原か? 演出は花魁が好きなんすわ。前世かなんかで遊郭の若い衆としてあの街で働いてたとかじゃないすか? よくわかんないけど(笑)
あの街は今は風俗街ですけど、江戸期から遊郭があったわけで、200~300年経っても未だに同じ土地で同じようなことやってるなんて不思議じゃないです? 風俗街としての面は置いておいて、なんかあの土地に魅力を感じるわけです。
いやあしかし、高価かったけど買ってよかった。見てて全然飽きないっす。もうずーっと見てられんの。
こいつぁ明治27年、大正12年、昭和20年、昭和33年、平成5年の吉原の地図が併記されていて、吉原の今と昔を地図で見比べられるわけですよ。ええ。
見てると色んな発見があります。
↑は明治27年時の吉原。
かつての吉原には、敷地内の四隅に榎本稲荷、明石稲荷、開運稲荷、九朗助(くろすけ)稲荷、そして大門の外に玄徳(よしとく)稲荷があり、これらが明治5年に合祀されて吉原神社になったという事になってるんです。
が、これを見ると少なくとも明治27年時点では開運稲荷と九朗助稲荷はまだ存在し、地図上には吉原神社は見当たらない。しかも九朗助稲荷は「黒助稲荷」と表記されている事がわかります。
↑大正12年の地図を見ても、現在の吉原神社の位置にはまだ「代書屋さん」が存在します。近隣には「しるこや」「小間物」「呉服や」なども。それに医療施設が6つ。現在の区立台東病院はこのころ「府立吉原病院」です。
↑昭和20年。漸く現在の位置に吉原神社が登場。吉原病院は府立から都立へ。時代背景のせいか「憲兵隊」なんて表記も見られます。詰所があったんでしょうな。ここは現在「花園公園」になってます。
ね。面白いでしょう?
江戸期に遊郭があった頃から路地の一本一本までが現在までほぼ変わらずにあるなんて本当に面白いし、今はコンビニやマンションなんかが立ち並ぶ仲之町通りを眺めながら「かつてはここをお女郎さんたちが花魁道中したんだなあ」と思うと、もう浪漫なわけですよ。ええ。
他にも「なんで唯一の外部との出入り口である吉原大門を鬼門である艮(うしとら)の方角に配置したのか?」とか興味は尽きないわけです。このあたりはもう永いこと嗅ぎ回っていて、漸く最近緒を掴みかけてきているので、いずれご報告できるかもしれません。